VAIENCEの対談で理論物理学者の野村泰紀氏が語った宇宙の成り立ちを聞きながら、私はひとつの違和感を追いかけていました。宇宙はなぜ、星や銀河や生命を許す値にこれほどぴたりと揃っているのかという違和感です。この対談が扱っているのは年表の暗記よりも、法則そのものがなぜ壊れずに成り立ち、精密さを必然と見るか選択効果と見るかという分岐です。私は後者の分岐を、量子重力やホログラフィーという手がかりと一緒に整理したいと考えています。
出来すぎた宇宙という違和感を一望する
野村氏の見立てでは、宇宙誕生の流れは定義の置き方で二通りに読めてしまう点に注意が必要です。高温高密度の熱い時期をビッグバンと呼ぶか、宇宙そのものの始まりをそう呼ぶかで、インフレーションの前後が入れ替わって見えます。アインシュタインが一般相対性理論を宇宙全体に当てはめた際に静止宇宙が解として出てこず、膨張か収縮しか許されなかったという理論の帰結と、銀河の後退から約138億年前に高温高密度の状態があったという観測の帰結が重なって、現代宇宙論の足場ができました。約38万年後の光が背景放射として捉えられ、熱く輝いていたことは確かめられていますが、それ以前は光が直進できず、光で見られる宇宙には限界があります。
インフレーションによる急膨張が起こり、その後宇宙は高温高密度のビッグバンへと移っていった。これが現代宇宙論で考えられている宇宙誕生の大きな流れなのです。
この一文が示すのは、冷たいまま原子サイズが観測可能な宇宙まで膨らむインフレーションという相があり、その駆動エネルギーが熱に変わる瞬間に素粒子が生まれ熱くなるという順序です。インフレーションは1981年に佐藤氏やグース氏らが提唱し、背景放射のパワースペクトルで検証が積み重ねられてきた考えです。
38万年当時の宇宙はスープのようにのっぺりとして、1/10万だけ濃いところと薄いところがある程度でした。部屋の空気にもむらがあるのに、宇宙全体で1/10万の精度でのっぺりしていた対比は、異常な滑らかさを直感させます。そのわずかな濃淡が重力で成長し、濃いところが周囲を引っ張り差が育ったという筋道です。この揺らぎが重力で成長する描像は教科書的事実として確立しています。
ちょっとルールを変えてしまうと、何もない宇宙になっちゃうんですよ。星や森や湖や人間どころか銀河すらないみたいな、もう何もない宇宙になっちゃう。だからむちゃくちゃうまく作られているように見える。もう神様を持ち出さないと理解できないだろうというぐらいうまくできているんですよ。
野村氏によれば、この言葉が指すのは、電子の質量や素粒子の種類がこの値でなければ星も銀河もできないという精密さです。私は出来すぎという感覚を、神の設計へ直行させるのではなく、少し値が違えば構造が立ち上がらないという条件の狭さとして受け止めたいと思います。多数の宇宙があれば、銀河系に何千億とある惑星の中からたまたま良い場所が見つかるのと同じように、条件の良い宇宙にいる私たちがそれを奇跡と感じるのは選択効果だという見方があります。超弦理論など1980年代に別の動機で作られた理論の中に多様な宇宙が含まれていたという後からの見直しも、この見方に重なります。ただし多宇宙の示唆は示唆的ですが、ビッグバン理論ほどの確からしさはなく証拠は途上です。私はこの留保を外さずに、問いの立て方を次章へ持ち越したいと考えています。
見えない7割と壊れるはずの法則
この対談が次に置くのは、宇宙の7割がまだ名前しか決まっていないという空白です。目に見える星やガスだけを数えても、銀河や銀河団の動きから見積もられる質量には足りず、シミュレーションでも現在の大規模構造を再現できません。ダークマターという見えない成分を加えて初めてつじつまが合うという説明は、存在の証拠が山ほどあるという強い支持と、正体が分かっていないという正直な留保の両方を抱えています。現行のΛCDMモデルをPlanckの観測に合わせると、物質のうち約5/6がダークマター、1/6が標準模型の物質、さらに全エネルギーの約68パーセントがダークエネルギーという配分になり、Ωmが約0.315、ΩΛが約0.685という数値で表されます。私はこの配分を、宇宙の主成分が目に触れないもので占められている事実として受け止めました。
ダークという空白
野村氏の整理によれば、ダークという言葉は正体の特定ではなく、未知を未知として置くための仮の名です。ダークマターは直接検出には至っておらず、WIMPなどの候補をXENONなどの実験で探索が続いている段階とされています。ダークエネルギーについても、1998年ごろに超新星の観測から宇宙の膨張が減速ではなく加速していることが確立し、宇宙を押し広げる成分が要請されました。候補として挙がるのが真空のエネルギー、つまり物質を取り去っても残る空間自体が持つエネルギーです。符号次第で斥力的に働き得るという性質が加速膨張の説明と接続します。ただしこの同定は有力な候補のひとつにとどまり、真空エネルギーそのものと断定することはできません。クインテッセンスなどの別の可能性も排除されていないからです。私はこの慎重さを、未知を早急に埋めない誠実さとして評価しています。
真空エネルギーを素朴に評価すると観測値より10の120乗も大きくなるという宇宙定数問題が知られています。理論から導かれる値と実際に空が示す値の落差があまりに大きいという事実は、ダークエネルギーの正体を考えるうえで避けて通れない重さを持ちます。ハッブルの後退が1929年に示され、加速膨張が1998年に確立するという二つの節目は、研究者たちが観測を通して宇宙像を更新してきた道筋としても記憶に残ります。
二革命の隙間
もうひとつの空白は、法則そのものの隙間です。20世紀にニュートン力学を拡張した二つの革命、相対性理論と量子力学がそれぞれ別の方向で日常の直観を覆しましたが、互いの領域を同時に要請する場面ではまだひとつの理論としてつながっていません。
相対性理論の側では、マクスウェル方程式から光速が秒速約30万キロメートル、地球を7周半する速さとして計算できるのに、誰から見た速度かが指定されていない奇妙さが起点になります。ニュートン力学のガリレイ原理では速度は相対的なはずなのに、光だけが誰から見ても同じだという置き方が要請されます。アインシュタインは1905年に特殊相対性理論でその要請を引き受け、早く動くほど時間の進み方が遅くなるという帰結を導きました。さらに加速と重力が同じものだという等価性に気づくことで1915年の一般相対性理論へ拡張し、重力を時空の歪みとして記述しました。加速を扱う必要がなければ数学が軽い特殊相対性理論を使い分けるという実務的な使い分けも、この対談では率直に語られます。
量子力学の側では、原子の安定性が起点になります。古典的に考えれば原子内の電子はエネルギーを失って中心に落ちるはずなのに、現実には安定して存在します。そこで状態が飛び飛びであることや、複数の可能性が重なり合って干渉するという新しいルールが要請されました。二重スリットでの干渉や離散的なスペクトル、重ね合わせの線形性は、ミクロな世界の確立した性質として知られています。
問題は、通常の量子力学に重力が入っておらず、一般相対性理論に量子の効果が入っていないという分業です。両方が同時に重要になるのは、ブラックホールの中心や宇宙の始まりのように極端に高密度で小さな領域に限られます。重力が極端に弱いために日常では分業が破綻しませんが、原理的には両方を含む単一のルールがあるはずだという要請が残ります。私はこの狭い同時要請の領域を、理論がまだ手をつなげていない隙間として捉えました。見えない成分という空白と、法則の隙間という空白。二つの空白を並べて置くことで、出来すぎという問いの背後にある未知の広がりが立体的に見えてきます。
その空間がクレイジーに膨張したときの量子力学による揺らぎと、その38万年後に実際に見えている揺らぎのパターン、そのパターンの統計的性質は完全に一致しているんですよ。
この一致は、さきほどの出発点へ戻る手がかりでもあります。クレイジーに膨張したときの量子ゆらぎの統計と、38万年後に見えている1/10万の揺らぎの統計が同じ形をしているという対応は、インフレーションという考えが単なる物語ではなく、検証可能な形で空に刻まれていることを示します。私はこの対応を、空白を埋める具体的な接点として次の章へ渡したいと考えています。
重力と量子が出会う場所で何が起きるのか
無限大を消す条件
野村氏の説明では、相対性理論と量子力学を素朴に合わせると計算が発散し、散乱確率が無限大になる形で破綻します。1たす1が2にならず、ゴミのような無限大が付いて回る状態では予言として使えません。ところが特殊な条件を課すと、そのゴミがきれいにゼロになる場合があります。素粒子を点ではなく9次元空間を漂う紐とみなす置き換えです。この紐の振動パターンが粒子の種類に対応し、ギターの弦のように、無限大を消すために要請される特定の質量の粒子の並びが、紐の振動モードと一致する対応が語られます。これが超弦理論と呼ばれる量子重力の候補です。数学的には10次元で無矛盾になり、M理論では11次元という条件が知られています。私はこの次元数の指定を、好みではなく無限大を消す要請が導く条件として理解しました。
ただし成功は適用範囲の限定と引き換えです。野村氏はこれを加速を扱えない特殊相対性理論に例えます。等速では正しいが加速が入ると使えないのと同様に、超弦理論も限られた状況では重力と量子をともに含んだ予言を与えますが、外れると扱えない領域が残ります。ブラックホールが蒸発して1億個や100億個の粒子が出るような多体状況は、現在の定式化を超えると指摘されます。私はこの限定を未完成という正直な現状として受け取りました。
面積が数えるエントロピー
この限定を越える手がかりとして、対談が掘るのがブラックホールのエントロピーです。エントロピーは、ある状態が取り得る可能性の多さを表す量で、水に落としたインクが広がるように増大する方向に進むイメージで語られます。古典的な一般相対性理論だけで見ると、事象の地平面の内側は外から見えず模様もないため、エントロピーを持たないように見えます。するとエントロピーを持つ物体を落としたとき、外から見える宇宙全体のエントロピーが減ってしまう矛盾が生じます。
この矛盾にベッケンシュタイン氏は1973年に提案します。ブラックホール自身が事象の地平面の面積に比例するエントロピーを持つという考えです。根拠は面積が決して減らないという面積定理です。二つのブラックホールの面積をA、Bとし、合体してできた面積をCとすると、Cは必ずAとBの和より大きいという関係が成り立ちます。この一方的に増える性質は、エントロピー増大という熱力学の性質と同型です。ピンク色の水を落としてブラックホールが少し大きくなるとき、その面積増加分が元のエントロピーを上回ることも示せると説明されます。私はこの議論を、ブラックホールも熱力学の枠外ではないという主張として読みました。
この提案に噛みついたのがホーキング氏でした。エントロピーがあるなら温度があり、温度があれば放射があるはずなのに、ブラックホールは一方的に吸い込むだけではないかという疑念です。そこで一般相対性理論に量子効果をパッチワーク的に入れ込む計算が行われ、ブラックホールが温度を持ち輻射することが発見されます。これが1974年のホーキング輻射で、計算された温度はベッケンシュタイン氏のエントロピーと整合しました。論文としてはベッケンシュタイン氏がPhysical Review D第7巻、ホーキング氏がNature第248巻として知られ、面積の非減少はGW150914などの重力波観測の枠組みでも整合的に扱われています。
野村氏の見立てでは、ところが整合の先に深い問題が現れます。同じ質量の別の星を潰して作ったブラックホールは重さ以外の情報を残さず同じに見え、ホーキング輻射も同一になるため、出発点の違いが原理的に消えるという問題です。日記を燃やす日常的な不可逆とは異なります。日記の場合、原理的には分子の位置や速度などすべての情報を知っていれば方程式を逆にたどって復元できる意味で情報は失われていません。しかしホーキング氏の計算が正しければ、異なる初期状態から出発しても最終状態が厳密に同じになると言っていることになり、時間発展が1対1でなく予言可能性が奪われるというブラックホール情報問題として1970年代に提起されました。私はこの対比を、喪失が実務的な困難ではなく原理的な喪失として語られている点に重みがあると感じました。
3次元は2次元に書き直せるか
この情報問題に新しい視点を加えたのがホログラフィー原理です。その出発点は最大エントロピーが体積ではなく面積に比例する不思議にあります。通常、箱が大きくなれば中に入れられる並び方は増えるため、エントロピーは体積に比例すると考えられます。辺を10倍にすれば体積は1000倍になり最大エントロピーも1000倍になるはずです。ところがブラックホールの場合は面積にしかスケールせず、同じ10倍でも100倍にしかなりません。その領域で最大のエントロピーを持つはずのブラックホールが面積分しか持たないという事実は、3次元空間の中に入る情報量が実際には2次元分しかないのではないかという提案へつながります。
しかしブラックホールではそれが体積ではなく事象の地平面の面積に比例しているように見えるのです。ってことは実は僕らは3次元空間の中に入る情報量としては2次元分しかないんだから、2次元の理論として書き直せるはずだという提案が、これがホログラフィー原理の基本的な考え方です。
この提案は、重力を含む理論は自由度がひとつ低い次元の重力を含まない理論と同じだとする見方へ拡張されます。n次元の重力理論はn-1次元の重力を含まない理論で書き直せるのではないかという考えです。私はこの次元をひとつ下げる操作を、立体映像が平面の情報から現れるホログラムの例えとしてではなく、情報量の数え方が要請する書き換えとして捉えました。
この提案に具体例を与えたのが、1997年にマルダセナ氏が見つけたAdS/CFT対応です。遠くに境界を持つ反ド・ジッター空間で超弦理論を調べることで、n次元の重力理論がn-1次元の重力を含まない特定の理論と等価になる対応が示されました。これにより超弦理論はホログラフィックな性質を持つことが示されたと整理されます。私はここで、超弦理論とホログラフィーが対立する二つではなく、理論と性質の名前だという整理に納得しました。
ただし具体例には適用限界があります。境界を持つ特殊な空間での対応であり、私たちの宇宙にはそのような境界がないとみられるため、そのまま当てはめることはできません。境界に依存した定式化を外し、境界がない場合にもホログラフィーを満たす写像を見つけることが、量子重力の完成に向けた鍵だとされています。ここで見解は分かれます。超弦理論の中にヒントがあると見る立場と、枠組み自体を超える必要があると見る立場が併存し、どちらが正しいかはまだ途上にあると語られます。私はこの併存を、決着を急がずに残すことが誠実だと感じました。情報問題についても、近年はホログラフィーにより元々の問題はない方向で決着しつつあるという見方が示されますが、完全な定式化ができたわけではないという留保が付きます。この距離感が対談の最後まで保たれています。
吹けば飛ぶ地球をそれでも愛おしむ視座へ
野村氏の来歴は、大きな天才論としてではなく身近な出会いの積み重ねとして語られます。高校で受験に出ない相対性理論や量子力学の集中講義をしてくれた物理教師との出会いが、物理の道へ進む契機になったという回想です。東京大学物理学科、同大学院へ進んだ後に、アメリカから来たポスドク研究員を東京タワーなどで案内しながら、話題を投げると100倍になって返ってくる濃密な議論を経験し、研究者としての基準が跳ね上がったという挿話も語られます。30歳前後でハーバードの助教授になる特殊な例を全体と誤認したことで、さらに集中して学ぶ方向へ向かったという振り返りも添えられます。私はこの来歴を、才能の神秘化ではなく環境と出会いが基準を押し上げた過程として読みました。
その上で、この対談が最後に置くのは、宇宙の広がりを知ることが虚無へ倒れるのではなく愛おしさへ反転するという視座です。
地球なんて吹けば飛ぶようなゴミみたいなものなんですよ。だからこそすごく壊れやすいものなんです。だから僕らが大事にしないとあっという間に地球なんか壊せてしまうんです。人間なんてそんな吹けば飛ぶような存在なんだから、僕らが生きていくときにはそこを大事にして生きていくんだというのを、宇宙研究をしてしょぼいことが分かるからこそそこが愛おしくなる
太陽系は銀河の中のちっぽけな存在で、銀河自体も多数の銀河の中のひとつ、宇宙さえ多数の中のひとつかもしれないという広がりを前にすると、地球や人間の悩みはどうでもよくなるのではないかという問いが立ちます。野村氏はそこを逆に捉え、吹けば飛ぶようなゴミだからこそ壊れやすく、大事にしなければあっという間に壊れてしまうという受け止めを示します。私はこの反転に、宇宙研究がもたらす視座の更新の核があると感じました。世界が広がるほど自分が小さくなるという事実は、虚無の根拠ではなく壊れやすさへの注意を呼び起こす根拠として読み替えられています。
微調整という言葉が誘いがちな目的論的な見方、つまり宇宙が私たちのために調整されているという読みは、選択効果と混同しやすい認知の罠としても知られています。ボストロム氏が整理したような選択効果の議論を脇に置きながら、私は出来すぎという感覚を設計者の意図へ回収するのではなく、条件の狭さと観測者の位置という二つの事実で受け止める方が、空の示す精密さに対して誠実だと考えています。インフレーションという考えが検証可能な形で空に刻まれ、ダークという名の空白がまだ7割を占め、重力と量子の隙間がブラックホールという極限で露出する。その全体を一望したときに残るのは、宇宙が理解不能なほど精密だから畏れる姿勢ではなく、精密だからこそ壊れやすいという事実を手元へ引き寄せる姿勢です。
世界はこう見え直します。1/10万の揺らぎが銀河になったという事実は、過去の記憶ではなく今ここにある構造がごく小さな差から育った連続性の記憶です。面積が数えるエントロピーや、3次元が2次元に書き直せるかもしれないというホログラフィーの視点は、空間という当たり前を数え直す契機になります。そして吹けば飛ぶ地球という自覚は、無力感の宣言ではなく大事にしなければ壊れてしまうという単純な要請へつながります。私はこの要請を、宇宙の深淵を遠くに拝むのではなく足元の壊れやすさを丁寧に扱う日常の更新として引き受けたいと考えています。

Comment